野球専門書籍レーベル、〈Benchwarmers Books〉スタート。第一弾刊行のご案内
「自 分が最善の努力をして出来ないならしょうがないと思うけど、していないなら『じゃあ最善の努力しようよ。あなたは勝手に限界を作ったから、その前に辞めた んでしょ? 僕は限界は作らない。だって人間の限界なんかどこにあるか分からないもん。僕が今からずっと投げ続けていけば、ひょっとしたら55歳でも140キロを投げられるかもしれないじゃないですか?』ということなんです。『それは特別な人だ』と言うかもしれないけど、そんな人はいないんです。特別なんじゃなくて、身体はほぼみんな変わらないんです。『違うのは考え方でしょ?』と」(本文より抜粋)
工藤公康・著
『限界を作らない生き方〜2009年、46歳のシーズン』
2010年1月30日発売(地方では搬入が遅れることがございます)
ベースボール専門書籍レーベル「ベンチウォーマーズ・ブックス」第一弾! 2010年、現役最年長47歳のシーズンを迎える、挑戦し続ける男の「2009年、僕はこう戦った!」の記録
内容
1 2月、5月、8月、11月におこなった工藤公康選手へのインタヴュー。
2 公式ホームページのブログを再録。
3 工藤選手のトレーナーである、白木 仁(筑波大学人間総合科学研究科 教授)インタヴュー
4 2009年、日付、打者別全成績
四六変形判並製(ソフト・カヴァー)/本体1,500円+税/ISBN978-4-344-95098-6 C0095 ¥1500E
ニュース形式のウェブ・マガジンも同時にスタートしました!
http://www.benchwarmersbooks.com
発行 株式会社ティー・シー・アール・シー
発売 株式会社 幻冬舎
インタヴュアー、クリエイティヴ・ディレクター 山崎二郎
http://www.jiroyamazaki.com
FEATURE
難波功士との対話
今、この日本を襲っているのは間違いなく『ROOKIES』タイフーン。「結局はヤンキー感強し」を刻印したのではないか?
近年では、ヒップホップやレゲエなどもそうだが、欧米カルチャーが日本で市民権を持ち、ポピュラリティを獲得するには、ヤンキーというフィルターを通るかどうか?にかかっていると実感する。
そこでのこの『ヤンキー進化論 不良文化はなぜ強い』。
気が遠くなる程の、映像、雑誌、本からの引用を駆使して、60年代まで遡り、いかにヤンキーが発展、変容してきたか?を紐解いたのが今作。新書というフォーマットではもったいない密度の濃さに、とにかく圧倒される。引用が多岐に渡り、丁寧に書かれているだけに、当時の状況がしかと伝わってくるのだ。
著者の視点で新鮮なのが、日本のヤンキーと、イギリスのラッズ・カルチャーとの類似を指摘しているところ。日本よりはっきりした階級社会の国ゆえ、労働階級の価値観が浮き彫りになるラッズ。だがここに来て、格差がはっきりした日本に於いても、ポジティヴな「ロウワー」ライフをエンジョイするためのヤンキー感、という帰結がすこぶる説得力がある。
加えて、著者のユーモア感覚が「ハンパない」。全てのカルチャーを等価に並べた上でのシニカルを讃えたユーモア感に脱帽。
そこで著者に話を訊いてみました。(山崎二郎)
山崎 シンポジウムにも参加されたそうですが、何故今、この本が反響を得ているのだと思いますか?
難波 「研究者の世界の中では誰もやらなかった」ということはよく言われます。研究者自体が基本的にオタクなので、ヤンキーとは距離が遠いし、ヤンキーは普通、大学まで行って研究者にならないし(笑)。教師や弁護士はいるかもしれないけど、まだヤンキー上がりの学者というのは聞かないし。そうなると、オタク文化に関する研究は分厚いし、「オタクとは何か?」という議論や論争も沢山あるけど、ヤンキーについてしっかり調査してる人は、ヤンキーというよりはグラフィティ・ライターだったり、暴走族だったりするので、意外とヤンキー自身のことは誰も考えていないなと。
“ヤンキー・コンテンツ”と言っていいのかよく分からないものはあるけど、学問的にはやられてこなかったからやってみようと。それから最近、『クローズ ゼロⅡ』、『ルーキーズ』みたいなのがバカ当たりしてますが、“ヤンキー・コンテンツ”といっても、ヤンキーが描かれている、ヤンキーが作ってる、ヤンキーが出ているなど、いろんなものがあって、そういったものを広げて考えれば、EXILEもそうかもしれないしと。
ヤンキー漫画も何百万部も売れるものも出ているし、コンビニにも沢山そうした漫画が売られてたり、ヤンキーが買うんだろうなって思う雑誌もいっぱい売られてる。〈イオン〉とかの大きなショッピング・モールや〈ドンキホーテ〉とかもそうかもしれないと。そういう事を考えていくと、ヤンキーには「大きなマーケットがあるんじゃないか?」と。『日経新聞』の解説などでも、「ヤンキー型消費」みたいに言われるようになって、90年代に「コギャル・マーケットがどうこう」って言ってたのと同じノリで、ヤンキーに注目する人達がいるなと思います。
山崎 要はマーケット対象として。
難波 えぇ。あともう1つあるとすると、少子化が騒がれたり、単身者を取り上げて、子供を持たないライフスタイルが、良いにしろ悪いにしろ「おひとり様」、「パラサイト・シングル」といって議論されてきました。「草食系」もそうかもしれないし(笑)。
だけど、早くに結婚して、子供を産んでいる人達のことについては語られてこなかったんですよね。何故その人達はそうするのか? 子供を産む事って悪くないんじゃないか?っていう時代の雰囲気に、ちょっと出生率が上がったというのが関係あるのかどうかは分かりません。
だけど、不景気で、「バカな遊びをするよりは、子供を育てる方が楽しいかな」という感じになってるのかな?と思います。不況とか、今まで議論されてこなかったとか、“ヤンキー・コンテンツ”みたいなのがポンポン当たってるっていう現状に、「何かあるのかもしれないな」と皆思っているのかもしれないですけど、そんなにものすごく盛り上がるか、というとそうは思わないですね。
でも出版業界もネタ切れなのか?(笑)、それなりにネタもあるし、『小悪魔ageha』や『I LOVE mama』みたいなヤンママ雑誌が出て、それなりに当たってる現状もあって。「それって何故なんだろう?」っていう事に対して、考えを述べられる識者が出てきた、というのが今の状況なんだと思いますね。
山崎 難波さんの著作の意義って、アンダーグラウンドのものをちゃんと言葉にして、オーヴァーグラウンドで言葉を与えたということだと思うんです。ヤンキー型消費や価値観というのはもうずっとあるけど、アカデミックな方がちゃんと言葉にして価値を肯定した、ということだと思うんですよ。
難波 語っても悪くないかもしれない、という。
山崎 いいんじゃないかと。格差社会が広がっていく中で、やってる人達は無自覚なんですけど、「ロウアー的価値観がカッコイイんじゃないか」っていう、太鼓判というかお墨付きの価値をこの本が作ったと思うんです。
難波 (笑)〈光文社新書〉の編集者がヤンキー本をずっと作りたかったらしくて、書き手を探していて。『族の系譜学』を見て、声がかかったんです。書いている途中で自分でも、「何のモチヴェーションでこれやってるんだろう?」と思うことは何回かあったんですけど、無理やり自分のことを書いてみたりして。大学生との話もでかかったと思いますね。
「自分は大学まで来ていて、中高の時もヤンキーとは違ったという意識や、自分達は無前提に当然ヤンキーよりも上の存在だと思ってるところがある。だけど、就職状況を見たら、4年生大学を卒業しても、定職に就ける人間は限られている。親がしっかりしてりゃなんとかなるかもしれないけど。そういう現状があるのに、ヤンキーのことそんなに見下してていいの? 二十歳くらいでちゃんと仕事して子供育ててる人いるんだよ。それに比べて大学生達の価値が上だと思ってる事自体、おかしいんじゃないか?」というような事をチラチラ言って、とても反発をかったんですけど(笑)。
でもまぁ、そういう事を言いたい気分になってたのとか、自分に突然子供が生まれたっていうのも大きくて。子供が出来るとやっぱりいろんな考え方がすごく変わってしまうので。それまで子供嫌いだったり、泣いてる子供を見たら嫌だなと思ってたのが、突然考え方が全部変わったんですよね。双子が生まれて、妻は専業主婦だけど、子育てにコミットする必要も出てきて、地元の児童館とかに連れていったりして。
山崎 必然的にコミュニティと接触する機会が増えますよね。
難波 「悪いもんじゃないかな?」って。神戸だと、〈ファミリア〉というとてもお高い、有名な子供服のブランドあって、芦屋とか山の上の方の子は、全身〈ファミリア〉みたいな子が沢山いるんです。でも子供2人にいつも〈ファミリア〉を着せるわけにはいかないから、〈西松屋〉っていう、子供服界の〈しまむら〉って言われてるようなイメージの量販店で買っていて。そういう所には、ヤンキーが沢山来る(笑)。「ガラは悪いけど、まぁちゃんと子供を育ててはいるんだろう」とか考えたり。その辺でも、ものの考え方が変わっていったんだと思いますね。
山崎 素晴らしい指摘だと思ったのは、ナンシー関さんの、「ロウアーっすから」という発言からインスパイアされたという着目点です。本質的な事をいきなり提示されている。
難波 「ヤンキーとは何か?」を学問的にやるんだったら、ちゃんと定義する必要があるんですけど、そこまでヤンキーに対して思い入れもなかったし、学問的な蓄積もなかったんですけど。だけど、1人で1冊の本を出す以上、「ヤンキーとは何か?」を語らなきゃいけない。その時に根拠をどこに置くか?と。
世間の人達がヤンキーという言葉をどのように使っているか? どう思っているか?をアンケート調査するようなやり方もあります。だけど、統計調査とかって、代理店にいて、ものすごくマーケティングが嫌いになってしまって(笑)。だったら、ナンシー関という人の洞察力に賭けてみて、彼女が「ヤンキーをどう捉えていたのか?」というのを掘り返してみると、「こんな事かなぁ?」と。
で、ナンシーさん自身が自分を「ロウアーだ」っていう位置に置いて語っていく中で、ヤンキーにある程度のシンパシーみたいなものを感じているのを、いろんな所で書いてるので、その感じは共有しようかなと思ったんです。母子家庭で育った子が〈博報堂〉に入ってしまうと、小さい頃から早稲田や慶応に通っていたような人達が多くいる世界の中に入って、別に皆良いヤツだからそんなに疎外感はないんだけど、やっぱり「何かが違う」と思うことは多くて。
彼らのようなポジションとか、視点じゃない所でモノを見たい、と。そういう意味でナンシー関さんに惹かれたのかもしれないですね。今で言うと、西原理恵子さんとかになると思うんですけど、すんなり入って来たんです。ヤンキーとはそんなに縁も環境もないんですけど、目の前にいる大学生がハナから馬鹿にしている感じは好きじゃなかった。それに、大阪も南の方で育つと(笑)、「小中学生の頃はいたな」というのがでかかったですね。
70年代のヤンキーですから、普通の子に手を出すのはカッコ悪いと思っていて、隣の中学のヤンキーと喧嘩する為だけに生きているようなヤンキーの子達だったんで(笑)。だからそんなに悪い印象もなかったんだと思いますね。いろんな人の話を聞くと、今はヤンキーが苛める側に率先して立っているという現実もあったりしてて。「ヤンキーを無条件に肯定するのも何かな?」というのもあるんですけど、頭から否定する人達もよろしくないんじゃないかな?と思ってたんですね。
山崎 現実としては、ヤンキー的な価値観や消費行動の方が、むしろ今の日本のメインストリームだと思うんです。EXILEとか『ルーキーズ』にしても。だけど、一部のメディア側は、どうしても上から目線ですよね。
難波 割と、先端な事とかカッコいい事、マイナーでマニアックだけど、っていう所に出版陣も学者も行ってしまいますよね。
山崎 実際は、“ヤンキー的なものがメインストリームだ”というのを無意識に知っていたり、頭の良いマーケッターの人はやっていますけども、その言わずもがなだった部分を体系を立てて書いた、という功績はすごいなと思ったんです。
難波 ありがとうございます(笑)。
山崎 やっぱりアカデミックな方が、誰もが読めば納得するような形で書かれているだけに、ロウアー的なものに対する価値観に対して、否定が出来ないんですよね。結論として思うのは、この本を読んで「これはこれでアリなんじゃないかな?」という所に落ち着く人って多いと思うんです。そういう解毒作用があるような気がしたんですよね。
難波 (笑)やっぱり子育てした経験がでかいかもしれないですね。同じような子育ての苦労を共有してくれるのは、ヤンキー達で、「パラサイト・シングル」、「おひとり様」、晩婚のお嬢様の「晩嬢」、90年代でいう「DINKS」とかっていう人よりも、子育てにバタバタしているヤンキーのお母ちゃん方に対する好感がでかかったんだと思います。
この春から子供が公立の幼稚園に上がったんで、そういう人達との接点があるかと思ったんですよね。だけど、公立の幼稚園って、専業主婦であることを前提にやっているので、ムチャクチャ裕福じゃないけれどもそれなりにやっていける、っていう家庭の子供が通っていて。本当に両親が一生懸命働いているような子っていうのは保育所に行っていて、ちょっと違いましたね。
山崎 関東の人間にはあまり分からないところなんですが、今お住まいの宝塚近辺は、山の上の方が富裕な層が住むという分かり易い土地柄というか 、先程の〈ファミリア〉じゃないですけれども、そういう所に暮らされていることも大きいんでしょうか?
難波 「難波 神戸線が大阪と神戸の間を結んでいて、それと交差して縦に一本線があって宝塚の方に伸びていくんですね。最近小説でちょっと有名になった今津線っていう線なんですけど、その線の西側、山手の方は、芦屋とか苦楽園に繋がっていて、雑誌でいう『VERY』とか『STORY』の世界がある。その今津線の東側は、競馬場があったり工場が多くあったりします。私の家はその今津線から西へ数十メートル。ちょうど境目みたいな所に住んでいるので、線路を越えて児童館とかに連れていくと明らかに違っていて(笑)。でも、東京ほどパシッと住んでいる空間が違うわけじゃなくて、競馬場の公園なんかに子どもたちと行くと、小マダム風の「ミュール履いて来るなよ」っていう感じのお母さんと(笑)、「女だから雪駄履くのは止めた方がいいんじゃないすか、お母さん」っていう感じのオバサンと、両方が子供を遊ばせてたりします。
山崎 共存ですか。
難波 なんとなく。ただその中でも、カトリック系で、お迎えは〈ベンツ〉、〈アウディ〉が当然みたいな幼稚園もある。公立の幼稚園だと専業主婦を前提にしているので、普通の家の子達が通う。もうちょっと厳しい状況にいる父母のいる子達は、公立の保育所。そうやって、ちょこっとずつ住み分けてはいるんですよね。だけど東京と違って、視界に入ってこないっていうのはないですね、狭いせいだと思いますけど。
山崎 それは感じるものが、ビンビンにありますね(笑)。
難波 カトリック系とか、お金持ちの子が通う幼稚園は、キャラクター系の持ち物が禁止になっていたり、公立の幼稚園はディズニーのキャラクターとかが氾濫していて、もうちょっと厳しい所の子が通う保育所とかに行くと、「何のクマなんだ、こりゃ?」っていうわけの分からないキャラクターを持ってるっていう(笑)。 そういう微妙な差が、見える範囲でありますね。
(6月29日/神保町にて)
ZAMZAN'BANSHEEとの対話
5月13日に1stアルバム『MANGA』を自分たちのレーベル〈ZAMZAROCKSYNDICATE〉からリリースしたザムザンバンシー。首謀者の辻 仁成ことZinc Whiteの想いは、『STEPPIN’ OUT!』Vol.2に自ら綴ってもらった。で、今回、ライヴを前にリハーサルをおこなうスタジオに赴き、他のメンバーに話を訊いてみた。
辻とは、バンド、エコーズからかれこれ20年以上の付き合いの伊藤浩樹ことHIROKI。JUDY AND MARYの恩田快人ことKOHTA、五十嵐公太ことBanshee Aliouxceという豪華メンバーだ。
HIROKI(Guitar)
おっちゃんたちがこんなにロックで頑張ってるんだってことで、「観ている人にも夢を」と言ったらおこがましいですけど、何かきっかけになれば
山崎 まず、結成のいきさつから伺いたいのですが?
HIROKI 辻本人から「また音楽やりてぇんだよな」って電話がかかってきて。
まぁ、もう一回エコーズって話もあったんですけど、ドラムの今川(勉)が体を壊して田舎に帰ってインディー活動を続けていて、ベースの伊黒(俊彦)も田舎に帰っちゃっていたので。
現状動いているのが僕だけだったので、「どうしようかな?」と考えた時に、ジュディマリの恩田くんとKOHTAくんがたまたま知り合いで、「そういうコラボって面白いかな?」って。
「エコーズとは違うけど、切り替えてニュー・バンドでどうでしょう?」と。
それでホテルで会って、みんな意気投合して。どんなもんが出るか? エコーズにしても、ジュディマリにしても、全然音楽性違うじゃないですか?
ただ、不思議な融合がまた新たな音楽を生むんじゃないか?という期待があって。
それが今回のアルバムです。結果、1年以上かかっちゃったんですけど、予想以上のものができたと。
山崎 今改めて4人でバンドやるというのは、どんな感じですか?
HIROKI 辻さんとは僕は18歳から一緒で、いつ会ってもエキサイティングな感じだったんだけど、ずっとエコーズしかやってこなかった中で、「新たなリズム隊で」となると、新鮮で初心に戻った感じですよね。
みんなはよく「百戦錬磨だから手慣れでイケるでしょう?」みたいに言うけど、テクニックではできるけど、気持ちの中では初めてバンドやったような新鮮なドキドキ感がして。
僕はスタジオ・ミュージシャンやプロデュースもやってるいるので、そういうところでは、「お仕事」じゃないですか?
でも、これは仕事を超えたところでの、気持ちの中でのバンドなんで。なんか18の頃、エコーズ始めた頃のようなね(笑)。
「あれ? この歳になってこういう新鮮な気持ちを持てるってこと自体、バンドってすごいな」というのと、この雑誌のコンセプトのように、「ずっと走り続ける中年オヤジ」みたいな(笑)。
まぁ変な話、中年じゃないですか?物理的に。うちのマネージャーも同じ年ですけど、完全にオヤジですよね?
年齢だけで言えば、世間一般で普通に考えればおっちゃん。でも音楽の素晴らしいところというのは、おっちゃんなのに、こういうカッコして街をフラフラ歩いていても許されるという、素晴らしい職業だっていうね(笑)。
出版されている方とかも、そうじゃないですか? スーツにネクタイの必要性は全くなくて。
こういうエンタテインメントの仕事っていうのは素晴らしいですよね。
だからこそ、自分の鮮度を保っていられるのかもしれないし。社会に迎合するつもりもないし、どこか反骨精神を持って音楽をやっていくわけじゃないですか?
それが我々みたいに、この雑誌にもあるみたいに、その姿を見て、みんなを少しでも勇気づけられるんだったら、素晴らしいですよね。
山崎 そうですよね、若くても反骨精神のない奴も……。
HIROKI いっぱいいますよね。流されちゃってるじゃないですか?
特に日本ではそういう風潮がある。全てメディアだったりに左右されるというか。だから、良い意味でこういうメディアを使って、みんなに良い気を与えられるんじゃないかな?と思うんですね。
サラリーマンで家庭があって、「このまま細く長く余生を生きるんだ」って人って多いじゃないですか?
おっちゃんたちがこんなにロックで頑張ってるんだってことで、「観ている人にも夢を」と言ったらおこがましいですけど、何かきっかけになればね。
山崎 「こういう風でもいいんだ」と、勇気づけられますよ、若い子に対しても。
HIROKI うん。やっぱり友達とかってサラリーマンで普通に家のローンかかえて子供もいて、もう俺はこれを守るために生きていくんだ、という友達が多いんですよ。
けど僕ね、ありがたいと思ったのは『HEY!HEY!HEY!』(〈フジテレビ〉系)とかにも出させて頂いて、そんな中でも、僕らがこういうことやっているのを観て「勇気づけられる」って言うんですよ。
「もう一度自分を見直してみよう」って、よく電話がかかってくるということは、やっていて良かったなって。よく、「あいつまだやってんの?」ってことも言われるたりもするじゃないですか?
でも、誰もそういう話をする奴もいなくて。
山崎 それは単にやってるからじゃなくて、いまだに反骨感とかエッジ感あるからなんですよね。
HIROKI そうなんですよね。だから僕はこのバンドで延々と走り続けたいなと。いくつまでになるかは分からないですけど。
山崎 要は年齢とかじゃなく、おっしゃったように、反骨精神やエッジ感があるかないかだけであって、それが唯一の基準じゃないか?と思うんです。長くやってる人でも、枯れちゃってる人も多いじゃないですか?
HIROKI そうですね。あとバンドって不思議だなと思ったのは、さっきの話とダブっちゃうんですけど、エコーズはあの4人で始めて、その4人でエコーズって顔になったわけなんですよ。
今の恩ちゃんとKOHTAくんがいて、ZAMZA N'BANSHEEっていうのも、最初は表情も何もかもがバラバラなんですよね。それが、1年レコーディングやライヴを重ねることによって、ZAMZA N'BANSHEEっていう1つの顔になるんだっていうね。
この歳になって改めて実感することなんですけど、「バンドって不思議だなぁ」と。
個々の集合体なのに、1つの顔になるってすごいことで。それは1つの音楽ってものを通して、みんなの意識がだんだん1個になってきたからだと思うのね。
だから、みんなの顔を見ていると、「これはきっと長く続くんだな」っていう風な気配がしてね。
山崎 面白いですね。バンドって一緒にやっていって、段々とそれぞれの志向性が違って別れちゃうけど、逆にまた集まって、1つになっていくという。アルバムが出来上がってどうですか?
HIROKI みんなのスケジュールなどもあって、1年間かけてやってきて、マイナー・チェンジしながらも、まだ悔いが残る部分もあるんですけど、現時点では僕的には最高なものができたんじゃないか?と。
これまで1年間やってきたものを、これから更にプラスαしてステップ・アップしていければいいかなって。
山崎 しかしスゴイですよ、キレ感というか。
HIROKI 絶対にエコーズでもジュディマリでもない、全く新たなものだと思っていて。
まさかこのメンツから、こういうタイプの音が出てくるとは誰も想像できなかったんじゃないかな?
山崎 英語で歌われてる曲が多いですけど、なんか、世界に向いてる感じがして。音の質感にしても。
HIROKI そうですね。やっぱり長年ロックをやってきて、ロックって日本の文化にはない、外国へリスペクトしたものじゃないですか?
ずっとロックを聴いてきて、やっとこの年齢になって、世界に向けて発信をしてみたいなという野望がね。
辻さんもフランスに住んでいて、「一緒に音楽家として外国でやれたらいいな」って。夢がすごく近づきましたよね、彼とやることによって。
山崎 なんか世界との近さを感じました。軽く行けるんじゃないか?って。普通海外に行くとなると……。
HIROKI 大変じゃないですか? 「バンド始めました」って言ったって、簡単には行けないですよね。
ところが彼が何年も外国で執筆や音楽活動していたからこそ、恵まれたっていう。
「一緒にやろう」って言われた時に、「分かった、やろう」と言った自分がいて良かったな。
山崎 それも、ずっとやり続けてきた上、エッジ感がキープされていたからでしょうね。
HIROKI きっと僕が全然違う仕事とか世界に行っちゃっていたら、声は掛からなかっただろうってのもあるし。
今は、この歳になって、いかにこんなに悪い、暴れてる感じの音を出してるギターはいないか?ってことを追求してますよ(笑)。
KOHTA(Drum)
誰にでもできる時代になったので、逆に誰にもできないことって、自分たちが発信する、自分たちを思い切り出すものの方が、時代の中では新しいのかな?って思うしね
KOHTA もう一度真剣にバンドやりたい、と。
彼は執筆活動で、今の現状、自分の想いを書いてるんだけど、それをもっと音楽に乗せて発信していくような、「人生最後の本気でやるバンドをやりたい」って言ってたんですよ。
それまで辻 仁成って知ってましたけど、面識なくて、HIROKIは付き合いがあったけど。
JUDY AND MARYというバンドも、ちょうど10年ずれてエコーズとは全くかぶってなくて、ZINC(辻)も「JUDY AND MARYってバンドは知らない」と。ただ紹介されたとはいえ、一番最初に話をして、このバンドの目的を話し合った上で1回音を出してみようよって。
で、音を出したら、「予想以上にこれは面白くなりそうだな」って。何よりもZINCには、「この人本気かも」ってエネルギーがあって。
山崎 サウンドの方向性は、音を出してみてから決まったんですか?
KOHTA とはいえ、最終的に色づけしていくHIROKIのイメージというのが、バンドのイメージになるわけじゃないですか?
アレンジ的な部分で言えば。全部リズム隊は、例えば、恩ちゃんのベースはずーっと一緒にやってきたわけで、ああいうスタイルで。
山崎 リズム・セクションのグルーヴは変わらないわけですよね。
KOHTA そうですね。どう転んでも恩ちゃん以外にはならないだろうし、自分も自分ってものを素直に出せば、こういうものになるって分かってますから。
あとはバンドが固まった時に、どういうカラーでZINCの歌を乗せていくか?ってのは、そこはHIROKIの世界だと思うんですよね。
そこに対して意見はかなり言いましたし、リズム・パターンだったり全体の雰囲気、ZINCの持ってきたベーシックを基に、「こういう感じにしたらカッコいいよ」とか、意外と古臭いバンドのやり方でやりましたね。
山崎 逆に、今や贅沢な(笑)。
KOHTA そうなんですよね、逆にね。
それ、おかしな話だなと思うんですけど、ホントに一緒にスタジオ入るってことが、ちょっと贅沢になってる。
ましてや、ZINCがパリにいて、ホントだったらファイル交換で音なんか全部出来上がっちゃってね。
それが今では普通なんだけど、逆行してるというね。でもやっぱり人間ですから、そんな機械を通してのコミュニケーションっていうのは、ある程度はできるにしても、その時にどんな顔でそれ書いてるか?
どんな表情で演奏してるか?も分からないけだし。その空気感は、一緒に音出してみないと絶対に分からないですよね。
山崎 逆にこのメンツでプレーしてみて、触発された面はありますか?
KOHTA 触発というよりか、今自分が持ってるもの全部を出し切ろうというか。
もちろん音に反応して出してるんですけど、新しい何かになっているか?は、自分の中ではまだ疑問ですね。ただ精神的には、またワクワクすることが始まったっていう。
こういう言い方するとすげえ年寄り臭いですけど(笑)。
段々、歳とともにズルくなるじゃないですか? リハーサルなんかにしてもそうだし、手の抜き方を覚えてくるというか。
山崎 合理的になるというか(笑)。
KOHTA よく言えば合理的なんですけどね(笑)。
それが例えば俺なんかにしてみたら、気持ちの入ってるバンドだと一生懸命、1つ1つ、楽器の選択から準備からしても、そういう風に気持ちが行くんですけど、ちょっとユルイと、それこそスティック1本で来ちゃうとか(笑)。
それでもできてしまうので、セッション感覚で全然オッケーな場もあるし。
バンドっていうのは、1から細かくやっていこうと思うと、自分が演奏する以外にやらなきゃいけない役割分担が増えてくるので、そういった意味で、今は音以外の自分の役割はどういうことだろう?というのを考えてる時点ではありますね。
山崎 エッジ感が前面に出ていて、びっくりしました。
KOHTA そうですね。ガキですね、また(笑)。
山崎 年齢じゃなくて、反骨感なんだなと。
KOHTA そうですね、今、世の中自体が全てがスマートに出来上がってるので。
話戻りますけど、ファイルで音のやりとりしていれば、どんどんキレイなものになっていきますし、洗練された、ある意味完成度の高いものになっていくと思うんですけど。
それが誰にでもできる時代になったので、逆に誰にもできないことって、自分たちが発信する、自分たちを思い切り出すものの方が、時代の中では新しいのかな?って思うしね。削ってキレイにして機械がやってくれるものにしてったら、尖ったものがどんどん丸くなるだろうし。
歌にしても、世の中に流れてるJ-POPにどんどん近付いてっちゃって、100人が100人同じみたいになると思うんですけど(笑)。
そこはさすがに色々やってきて、自分らも分かってる部分があると思うんですよ。
子供の部分もあるし、分かってる部分もあるので、まぁ結果、スタート段階はこういう風になりましたって感じですね。
山崎 規格におさまらない、ハミ出してる感じがしました(笑)。それと海外が近い感覚もあって。
KOHTA ZINCが海外に住んでるってのも大きいと思うんです。
日本の中から世界を見るのと、一歩外から見るのとでは全然違うし。
おかげさまで、前のバンドをやって大きくなれた分、時間と余裕があって、パリにもロンドンにも、いろんなところに行けて。パリに住んでいる人の目線で見る日本、日本の音楽、日本の文化だったり。
例えばパリで「なんで、お相撲さんがトイレに飾ってあるカフェがあるんだろうな?」とか(笑)。
そういうのを見ると、「ZINCは今こういう世界で生活してるんだな」ってことも分かるし。
ワールド・ワイドを、日本から向こうという一方通行だけで見てたら、もっと狭い世界になってしまうと思うんですけど、その辺違いますよね。
4月にパリでライヴができるそうなので、あらためてアジアなりジャパニーズということを考えてバンドが出来るなって。
山崎 バンド名、ZAMZA N'BANSHEEはどういう意図で?
KOHTA 名前は最初決まってなくて、リハーサルやってく中で徐々に決めていったんです。
ZAMZA N'BANSHEE、ザムザって響きは好きですね。そのレヴェルです、俺は(笑)。
山崎 ライヴ観て、「こういうドラミングされてたかな?」ってびっくりしました。
KOHTA やってること自体はあまり変わらないですけどね。
でも解散して10年経ってるので、その間に自分の中で削ったり加えたりしてきたものがありますから、あの当時とは変わってるのかもしれないですけどね。
本質は何も変わってないです。
Bashee Aliouxce(Bass)
音楽を自分たちがやってる以上、そこに何を込めるか?って理屈があった方が筋が通るんで、やっぱりそういう意味合いや内容があった方が意味がありますよね?パッションとか
山崎 辻さんとは面識なかったとかで?
B.A 僕はなかったです。エコーズの頃の映像は観たことはあるんだろうけど、そのイメージだけですね。
山崎 4人で集まったらどんなサウンドなのか、想像つきましたか?
B.A 最初は想像つかなかったし、ZINCが「またロックを、バンドをやりたい」ってことで、HIROKIに相談したそうです。でもベースとドラムの方が現役でやってないってことで。
会った時に、やっぱり体は人を成すというか、形で分かりますよね? 僕も髪の毛をブルー・ブラックに染めてる人がいたら、「おっ、同じ音楽好きなのかな?」と思うし、ファッションで分かりますよね?
なんとなく醸し出すもので。それで「あっ」と思って話したら、彼はやっぱり文筆家だし、世界で起きてるいろんな問題について書いてるんだけど、「読み物になると、どこにでも入っていけるわけでもないし、活字を読もうという人でないと入っていけない」と言うわけですよ。
「それを音楽に込めたい。それもスマートに、この衝動と叫びを爆発的に表現したいからロックでやりたい」と。
そういう意味で言えばパンクなのかもしれませんけど、「そういう感じでやりたいんだ」と。僕たちも、もうええ加減歳だから、世の中も見てきてるし、何かしら「世界中こういうことでいいのかな?」って、それなりに思うわけですよ。
でも、それを音楽にどういう風に込めるか?っていうと、1人の社会人として持ってる考えと音楽って、なかなか繋げようと思っても自分はメインで歌う代弁者でもないし、かといって今から政治家になって世の中変えようというのもできないしっていう想いだけがあったんですよね。
で、今回のような話をもらうと、音楽を自分たちがやってる以上、そこに何を込めるか?って理屈があった方が筋が通るので、やっぱりそういう意味合いや内容があった方が意味がありますよね?パッションとか。
山崎 「込め感」というのが出てきますよね。
B.A ハッキリするから。それで「これは共感できる。是非やりたい」と思いました。
山崎 リズム隊がワイルドでびっくりしました。前のバンドがポップだったというのもあるんでしょうけど。このメンツでやって、触発された面はありますか?
B.A JUDY AND MARYもアルバムの中では激しいのがあるんです。
YUKIちゃんも激しいのが好きだったし、一連のポップスの女性ヴォーカルと違って、ライヴではじける部分があったから、それは自分らでもあまり変わらないと思ってるんですよ。
イメージ的にはそれが半分から1/3だったとしたら、このバンドは7、8割がそうだから(笑)。
あの頃から僕もみんなもそうなのかもしれないけど、何かしら前に進みたいと思ってやってますよね。
解散後もいろんな経験してるし、それがより自分の理想に近づいてるとするならば、確かに今はそれを出しやすい状況であるとは思います。
JUDY AND MARYを始めたのは20代だったんで、その頃は阿吽の呼吸になるのは難しくて、やっぱり2、3年かかったと思うんですよ。
それ以降はいろんな経験積んでいくうちに、なんとなく出しやすくなったと思うし、やっぱり積み重ねで、何かしら自分が目標に到達する要領を得たのかもしれないし。
KOHTAくんとはもう10年以上やってきてるし、ここ最近もたまにやったり、Gacktくんのレコーディングも一緒にやったりしてたし、いろんな経験を積んで、すんなり出せたのかもしれないですね。
ただ、「このバンドで。新しい方法で」という試行錯誤はしましたけど、そこにみんなの音が重なると、HIROKIの音もエコーズからの流れとか、UKものの浮遊した感じが出るんで、逆にリズム隊がガッシリしたところを出せたんで。
そこにZINCの心の叫びがくると触発されますし。
実はそれが全体のサウンド・エフェクトだったりしますから、ヴォーカルのパッションで、他の楽器への相乗効果が生まれてると。
山崎 規格外感のあるアルバムだと感じました。
B.A (笑)さらにやれることがあると思うし、絶対ライヴの方がもっと生で肌で感じられると思うしね。
山崎 年齢じゃなく、反骨感を持ってるかどうか?ということが大きいんだなと。
B.A そうですね。自分の経験から言うと、若い奴は分かりやすい。
やっぱり「物事が思うように進まない」とか、「なんで思い通りにならないんだ?」っていっぱい悩みますよね?30歳超えても。
そこでやっぱり、まず自分を見極めて「自分から出していかないと、何も生まれない」ということに気付くと、歳が行くほどに、それをやらずにはおれなくなるので、歳が行くほど、尖ってる人はどんどん尖っていくと思うんですよ。
それも、筋の通らない尖り方じゃなくて、ちゃんと筋が通って説明がつく尖り方しないと。もう30歳越えたら闇雲に尖れないですよね(笑)。
山崎 それ名言ですね(笑)。僕も44歳になりますけど、逆に40過ぎた方が、世の中に言いたいことがいっぱい出てくるんじゃないか?と(笑)。
B.A (笑)まぁ、文句オヤジになりますよね。
でも、文句言う時に、「若いもんは」って言いたくないし。僕らも若い時はそうだったし、みんな通る道なので。
でもそんなに人や社会に対して責任取れないし、自分がそういうことやってれば、その姿勢に、オヤジの背中じゃないですけど(笑)、そういうのが込められれば、それが僕たちのメッセージだと思うんで。
山崎 世界が近い感じがしました。
B.A そうですね。音楽の世界もコンピューターの恩恵をものすごく受けて、ありえないほどここ10年で変わったし。
でも可能性が広がるというのは、昔はなかなか辿り着けなかったものの敷居が低くなって、やりやすくなるのは便利で良いと思う反面、生で実演しないでも音楽できるし、サラリーマン辞めて作曲家になる人も最近多いし、良い曲なんて世の中に溢れているしで。
昔だと、良い作家と実演とトータルで揃ってないと駄目だったのが、今は作家ばかりで実演家がいないから、良い実演家に良い歌を歌ってもらうために、みんな四苦八苦してるような。
やっぱり僕らは実演家だから、ライヴで、自分たちでしか出せないトータル感の良さが大事だと思うし。こういう活動が出来る人は幸せだし、「ここで見せなくちゃどこで見せるんだ!」と。
(5月10日/都立大学にて)
森山達也(THE MODS)との対話
81年のメジャー・デビュー以来、今も走り続けているということが、ロック・バンドとして奇跡。
しかも今もエッジがあるということが。新作は、83年、ロンドンで録音された『Gang Rocker』他2曲。「もしも、あの時、フル・アルバムとして制作されていれば……」というコンセプトで、26年の時を経て今制作されたのが『Gang Rocker…If』。
レゲエ的なサウンドの新曲「CRY NO MORE」の、〈生きてく事は 笑えないコメディ 長く短い ロードムービー〉というラインが染み渡り、走り続けている者でないと書けないリリックだと思った。
全国ツアーを前に、リハーサル・スタジオで、リーダーの森山達也に逢った。
あそこに入ってる3曲は、俺たちの中でも尖ってた時代で。“たら・れば”だけど、「アレ、もっと曲入ってたらすごいアルバムになるね」っていうのをよく飲みながら話してたわけ
山崎 今回のリリースに驚いたんですけど、どんな流れでリリースすることになったんですか?
森山 83年にミニ・アルバム『Gang Rocker』をリリースしたんですけど、最初はその前の年に〈マーキー・クラブ〉でやったライヴ盤を出そうかなと思ってたんです。
でも、音の問題など色々あって全曲は無理だな、どうしようか?ってなった時に、その頃って、12インチ・シングルが流行ってたんですよ。
回転数を変えると音が良くなるって噂で、外国でも流行ってたから。じゃあって、12インチ・シングルって変則な形の5曲入り(オリジナル3曲、ライヴ2曲)にしてね。
けど、それから2、3年経って、メンバーと「なんであの時もう少し頑張ってオリジナルを作ってフル・アルバムにしなかったんだろうね」って。
その時は単純に時間がなかったんですけど、でもあそこに入ってる3曲は、俺たちの中でも尖ってた時代のもので。
“たら・れば”だけど、「アレ、もっと曲入ってたらすごいアルバムになるね」っていうのをよく飲みながら話してたわけ。
そのことをもう忘れていたんだけど、半年前くらいにうちのギターの奴がブログで「よく森山と酒飲んで『Gang Rocker』があの時もしフル・アルバムだったらどうだったろうね、って話をするんだ」みたいなこと書いたら、
ファンの反響があって、「そうだよね」、「そのアルバムあったらいいよね」っていうのを今回思い出して。
じゃあ83年に戻ることは無理だけど、「やってみよう」と、最初企画的な発想でやり出したら本気になってきて。
山崎 思い起こすと83年のロンドン・レコーディングって、どんな感じでしたか?
森山 ロンドン・レコーディング自体、その時は2回目だったから、
ロンドンに対する云々はないんだけど、自分たちがちょうど向こうのアーティストとも友達になったりとかして、自分の周り全てが「ロック」って感じになってたんだよね。
まだロンドンも今と違ってすごくロックな時代だったし、グローヴァル的な発想があったと思う。
そこに対して日本のロック・シーンを見て「クソッ」と思った部分もあっただろうし。
尖っていたと思うんですね。そういう意味では、あの頃1年に何回かロンドンに行くってのは、すごくエネルギーにも勉強にもなる、必要なことでしたね。
山崎 83年のイギリスってすごい刺激的な時でしたよね。
森山 刺激的でしたね。パンクが終わりかけて、ニュー・ウェーヴとかニュー・ロマンティックスとか呼ばれて、デュラン・デュランみたいなのが、ちょうど蠢いていて刺激的でした。
83年には戻れないんだけど、その時の自分たちの気持ちだったり、空気感っていうのは思い出せるんですね
山崎 もう少し長く滞在して、もしフル・アルバムを作ったら、と?
森山 そう、「どうだったんだろうねぇ?」ってことなんです、結局。
まぁでも、時間がなかったのも事実でね。あの頃日本でもかなりの本数、ツアーしてたし。あれはあれでね、いいんですけど。
山崎 今回みたいなケースってあまり他で聞いたことないなって。
森山 ないですよね。
山崎 全曲をリ・カヴァーする、というのはありますけど、もし……というのはロマンチックじゃないですか(笑)。
森山 そうですね。83年には戻れないんだけど、その時の自分たちの気持ちだったり、空気感っていうのは思い出せるんですね。
果たして本当にこのアルバムと同じ曲ができたか? それはもう違うと思う。
でも、その頃の資料をもう1回見たり、写真を見たりして。
山崎 あ、そういう作業をしたんですか。
森山 しましたね。しないと多分、今の音楽になってしまうと思った。
もちろん今の音楽でいいんだけど、なるべくその時の空気感を思い出したいから。
その作業が楽しかったし、逆に、詞を書く時、大変だったというか……
「書けねえなぁ、この頃の詞」って。あの頃ならではの詞だったと思うから。
山崎 今観ると、当時の詞はどう映りますか?
森山 ある意味広く見てるな、と。でもクサいな、若いな、と。何も知らない強さがあるけど、「オマエね、20数年後はもっと丸くなってるぜ」って言いたい(笑)。
山崎 83年の自分にツッコんでる、みたいな(笑)。
森山 ツッコんでる。
でもすごく大切なことじゃないかな、その時にしか書けない完成で作れてるから。そこには戻りたくても結局戻れない、というのは分かりました。
山崎 大変だったというのはありつつ、どんなアプローチで書いていこうと?
森山 ノートを持ってるんですよ、走り書きみたいなの。デビュー当時からダーッと。
山崎 保管してるんですか?
森山 はい。ほとんど完成してないようなフレーズ、サビだけあるとか、そういうのを見て「あー、なるほど。この時代こうだったな」とかいうのを思い出して。
それをベースに作った曲もあるし、曲も昔のカセットの伸び切ったようなのを聴き直して、「こういうの作ってたな」って、やり直したり。
自分たちの持ってる原始的な部分というか、初期衝動をもう1回思い出して。何10年やっても変わらないとこだと思うし、それに忠実になりたいと思ってね
山崎 それはどんな曲ですか?
森山 「シャレたクツの下に」とかも、実際その頃作ってたし。
「ダンダン」って曲はアマチュア時代に作ってた曲だし。
「あー、あったねこんな曲。でも今書けねぇな、こんな詞」っていう、今書けないなっていう詞を入れたいというか。
そこが楽しかったけど、作業は大変だったよね。
山崎 新曲の部分は?
森山 自分たちの持ってる原始的な部分というか、初期衝動をもう1回思い出して。
何10年やっても変わらないとこだと思うし、それに忠実になりたいと思ってね。
今の流行りとか新しいということより、もうちょっと原始的なことをやろうと。
それが俺たちにとっては多分8ビートだろうし、ギター2本、ベース、ドラムっていうシンプルなスタイルが得意だからこそ、そこに忠実であるべきだ、と。
山崎 しかし「CRY NO MORE」の詞が良いですね。
森山 これは20代後半には書けない詞ですよね、
山崎 26年前の自分と対話してる感じもしたんです。
森山 それはありましたね、良くも悪くもそれは感じてしまいましたね。すげぇなってとこもあるけど、逆に「オマエ、まだまだだ」っていう。
山崎 それができるのって、いまだにバンドが走り続けてるから、ですよね。
森山 そうですね、アルバム3枚のバンドじゃ、できないですからね。
俺たち40枚近く出して、27、28年やってるから、さっき言ったロマンというかね。
個人的には、本当にロマンをさせていただいたと思うし。長くやってきたご褒美かなと思ってます。
山崎 これが解散したバンドが再結成して、というのとは全然違いますからね。
森山 ちょっと違いますね。ファンの中には、「83年の『Gang Rocker』をそのままにしておいて欲しい」という連中もいると思うんですよ。
そこは俺の個人的ワガママで「ばかやろー、これは俺のロマンだ」って。
山崎 つくづく思ったんですけど、まずバンドが続いてないとできないし、そんなバンドってまわり見渡してもいないし、加えて未だにエッジ感があるんですよ。
同窓会的に古い曲ばかりやってるような感じになってたらできないわけで。
未だに走り続けてエッジ感があるから、これが成立したんだと思うんです。
森山 そうですね。結局レコーディングが始まったらすごく楽しんでやれたし、ある意味、お得意のパターンだからね。
所詮83年に戻ることはできないって前提があるから、『Gang Rocker...If』とタイトルについてるわけで。
山崎 ホント、ロマンチックですよ、発想が(笑)。
森山 シンクロしますからね。ある意味ありえないことだから。
山崎 加えてファンの人は、自分にとっての“If”として。
森山 そういう想いで聴いて欲しいよね、確かに。
山崎 先ほど詞に関しては「青臭い」とおっしゃってましたけど、曲に関してはどう感じましたか?
森山 曲はね、26年経っても基本的な曲作りは、そんな大きな変化してないと思うんです。
「これ面白いな」という時代の要素を入れて20何年経ってるけど、ベースにあるところは今でも、洋楽でいえば古い60年代のブリティッシュが好きなのは今日まで変わってないし。
その辺をベースにしてたから、後は枝葉の変化はあっても幹ってのは何も変わってないから、曲はそんなに苦労しない感じですね。
やっぱり詞の世界って、難しさが出ますね。曲はもう素直に従いました。
昔の未発表とか聴いて、逆に「これなんで入れなかったのかな?」というのもあったし、その時の理由が思い出せなかったりして、それはそれで楽しかったというか。
「パンクはこうあるべきだ」、「こういうカッコしなきゃいけない」みたいになりだして、それがすごく「えー、それってパンクじゃないじゃん」ってなってきて
山崎 レコーディングはどのくらいかかりましたか?
森山 全部で2週間。録りだけなら1週間。
山崎 いつものペースとくらべると?
森山 そんなに大きく変わんないです。あまり長くやる方じゃないから。
ただ、前作のキーボードがいっぱい入るのは時間かかるけど、ゲスト・プレイヤーの作業なので。
基本的にタイトなアルバム作る時は、1週間から10日でやってしまいますね。
山崎 『Gang Rocker』って言葉、クールですね。
森山 当時俺たちのことを、「パンクのカリスマ」とか勝手に書いてたじゃないですか(笑)。
別に、ロックンロールと思ってるし、パンクも好きだったから問題なかったけど、だんだん「パンクはこうあるべきだ」、「こういうカッコしなきゃいけない」みたいになりだして、
それがすごく「えー、それってパンクじゃないじゃん」ってなってきて。
山崎 ホントは一番自由なはずなのに(笑)。
森山 そうそう。そういうのを壊したくて、じゃあ俺たち何なんだ?と。
それでポーンと「“Gang Rock”でしょ」って発想で、その時は作りましたね。
山崎 26年経たこの歌詞が、「今書いた」といっても全然おかしくない、と思ったんです。
森山 時代的には20何年前って言ったら、もうちょっと貧しかったと思うし、
例えば情報の速さにしてもモノの多さにしても、ロックが良い意味でカルチャーというか楽しみの1つだった。ファッションも変えていけるぐらいの文化だったと思うんです。
今ロックと言ったら、配信で落とせる時代。
カラオケと変わらない、ホント楽しみの1つの道具になっちゃってるから、そういう意味では俺たちの見る世界はある意味のフラストレーションだと思うし、
ましてや飛ばし過ぎた日本経済がいろんなとこに歪みが来たりしてるわけで。
俺たち、バブルの時代もバンドだったけど、全部俺たちの上で踊ってただけで、実はバブルなんて経験してないわけ。
まわりの連中には色々あったと思うけど、俺たちの立ち位置は何も変わってないと思う。
だから、今でもその詞が歌えるっていうのはありますよね。
俺たちもバブリーなことをやってたら歌えないと思うけど、俺、バブルの頃家なかったしね、逆に(笑)。
山崎 (笑)所属していた〈エピック〉がすごい調子良かった頃じゃないですか?
森山 その〈エピック〉が儲けたお金で、俺たちはロンドンとか行ってたから(笑)。
各個人が持ってるモッズという集団へのリスペクトがあるから。辞める理由、解散する理由もなかった。理由がないならやっていくしかない、音楽好きだからね
山崎 しかし、よく訊かれる質問だと思いますが、どうしてバンドを続けてこれたんですかね?
森山 2年前にドラムが辞めたんですけど、それまで、1つには、みんな博多出身で好きな音楽も似通ってて一緒に東京に行くっていう意識もあっただろうし、
それ以前に大事なのは性格ですよね、仲間としての。
やっぱり4人でも十分な集団だからね、家族くらいになるもんだし。
チームとして、その問題がなかったからやってこられたと思う。
色々あってドラムは辞めたけど、新しい奴は博多じゃないけど25歳で性格いい奴だし、そういうベースがしっかりしてたから多少の喧嘩はみんながやるもんで。
一旦ギター持って「さぁ、モッズの音楽やるぞ」ってなったら、みんながちゃんと、俺が言ったわけでも決めてもないルールというか、各個人が持ってるモッズという集団へのリスペクトがあるから。
辞める理由、解散する理由もなかった。理由がないならやっていくしかない、音楽好きだからね。
山崎 今さらっとおっしゃいましたけど、他のバンドで今続いてるのってSHEENA & THE ROKKETSぐらいじゃないですか?
森山 そういう意味ではそうですね。音楽が好きで仲間が好きだったら、辞める理由ないもんね。
山崎 なぜ他のバンドは続かないんですかね。
森山 表面上は音楽上の理由というけど、やっぱ人間的な問題やお金の問題もあるだろうし、そんなにみんな美しい奴がミュージシャンやってるわけじゃないからね。
どっちかって言ったら結構ヒドイ奴がやってるから、だと俺は思うけどね。
純粋に音楽性が違ってきて辞めるミュージシャンもいるとは思う。
俺たちは、東京行ってお金持ちになりたいとか、そんな大袈裟なことやろうとしたわけじゃないからね。
まぁ、ちょっとは思いましたよ、デビュー当時は「こりゃ金持ちになれるぞ」って。
でも1枚目が出た瞬間に分かりましたよね、日本じゃ無理だって。
山崎 (笑)早かったですね、気付いたの。
森山 早かった。芸能界ってのに興味がなくなったというか。
時代的にアイドル全盛期だった“ザ・芸能界”に、俺たちの入るスペースはなかったしね。
そこに入りたくて東京行ったわけじゃなかったし、ロックやりたいんだから、別にそこに入んなくていいやっていうのがあった。
いくらテレビに出ようが、なんか違うとこでやってた感覚がありました。
テレビに興味がなかったし、そういう意味でのチャートにも興味なかった。テレビに出て1日拘束されるならツアー出よう、という発想でしたね。
山崎 芸能界とまで言わなくても、85年くらいから〈エピック〉がガンガンになっていって、ロックがポピュラーになって、その中でも意識的に一線画してたわけですか?
森山 そういう風にレコード会社の人たちも思ってたね、「モッズにそういうことさせちゃダメ」って。
「テレビ出ないよ」って言ってる俺に、一番偉い社長が頭下げるわけ(笑)。
「だってカッコ悪いじゃん。頼む森山、頼む」、「じゃあ、仕方ないですね」ってノリだもんね。
困ったバンドとは思ってただろうけど、当時〈エピック〉にいたからロック・ブランドのイメージが付いたってことも言ってくれてるから、それで良かったんじゃないかな。
俺たちはいろんなアーティストの儲かったお金でちょっと面白いことさせてよって言ってたもん、当時から(笑)。
ブームっていうことは、絶対終わりがあるんだろうなと思ったし。中には良いものも出てきて今も残ってるバンドあるでしょうけど、俺たちはその前だからあまり関係なかったっちゃ関係なかった、ですね
山崎 (笑)時代が変わっても森山さんとしては、全然変わらずにブレずにここまできたんですね。
森山 ブレずにきましたね。バンド・ブームが来た時、俺知らなくてアジアや博多に数か月滞在したりして、モッズの活動をスロー・ダウンしてたんですよ。
単純に、個人的にずっと吐き出してきたから「もう何作ればいいの?」って感じの時期があって。
ロンドンもLAもいわゆるロックのメッカという所にはもう行ってるからそんな刺激ないし、じゃあアジアが逆に面白いんじゃない?ってことで行ったら割と面白くて。
それでメンバーとか呼んで、ただ曲作りして、毎日プールで泳いだりとか。
まぁ、安いからできたんだけどね。それで帰ってきたら世の中はバンド・ブームになってて「何?」みたいな、浦島太郎でしたよ。
今思うとそれが良かったかも。
山崎 巻き込まれなかったと同時に、そこには意志があったのでは? 「俺はそういうのとは違うよ」と。
森山 そうね、ブームっていうことは、絶対終わりがあるんだろうなと思ったし。
中には良いものも出てきて今も残ってるバンドあるでしょうけど、俺たちはその前だからあまり関係なかったっちゃ関係なかった、ですね。
山崎 今は年間どのくらいライヴを?
森山 30本くらいかな、昔と比べたら減りました。昔は若かったしね、100本以上あった。
キツかったね、いくらライヴ好きでも。それですり減ってしまって。
山崎 それでレコーディングもやって、と。
森山 だから家にいなかったもん、「家賃もったいない」って言ってた。
1年の2/3は住んでない、みたいな。今思えば良い経験した。
でもどんどんライヴが悪くなってくんですよ。
みんな疲れるし、慣れるし、お仕事感覚で消化してく感じ。これやってちゃダメだと思って一旦スロー・ダウンして、
一本一本良いライヴやらないと俺たちにとって3回目でも、その街の子はみんな初めて観るわけだから。そういう意識でやんないと「終わるぜ」って思って、それから意識変えていって。
ちょっと利口になった、まぁ、そこがヴェテランの良いとこでしょう(笑)。
山崎 しかし、事務所&レーベル名の〈ロッカホリック〉って良い名前ですね。
森山 これはうちのベースが付けたんです。
カヴァー・アルバムを作って最初のインディーズでやった時、「タイトルどうしよっか?」ってなって。
「俺たちみんな、ロッカホリックでしょ?」、「だよね」って、それをアルバムに付けて、その1年後に独立したんですよ。
事務所は最初、〈サムライ・オフィス〉とか付けたんですけど、それはやめてくれと言われて(笑)。
それでロッカホリックにしよう、と。ある意味中毒、ですからね。
山崎 やり続けてるものじゃないとピッタリこないな、と思ったんです。
森山 ですね。苦しいとこは苦しいけど、自由にやれてるからすごくいいですね。
金銭的にはメジャーの頃に比べると多少アレだけど、でもバンドってのは、アルバム作ってツアー出て、それでご飯が食えるなら基本的にはオッケーなわけで。
今は完璧そういう意識ですね。
ただ、せっかく作ったから1人でも多くの人に伝えたい、という意識はあるけど、そうなるといろんな宣伝どうこう……メジャーでやってた頃を思うと大変だなと思うけど、
モッズは割と長くやってるから、昔からの知り合いが俺の見えないとこで色々協力してくれたりして助かってますね、ありがたい。
山崎 このアルバムとライヴDVDをリリースして、この後のツアーは、このアルバムのツアーということになりますか?
森山 そうですね。古い曲も上手く混ぜて83年の気分の戻るようなこともしたいなと思ってます。
(5月21日/代々木にて)
スチャダラパー
対話 山崎二郎
昨年、TVドラマ『週刊真木よう子』エンディング・テーマとなり、シングルとしてリリースされた「ライツカメラアクション」や、今年に入って、木村カエラをゲスト・ヴォーカルに迎えたシングル「Hey! Hey! Alright」が収められた11枚目のオリジナル・アルバム『11』。木暮晋也、HALCALI、塚本 功&松田浩二(SLY MONGOOSE)、bird、ロボ宙らが参加したこの作品から漂ってくるのは「フレッシュ」。20年近い活動をおこなって来たヴェテラン・グループからそれを感じることが嬉しいではないか。
「THE HELLO WORKSをやったから、まぁ、そろそろスチャダラもって感じで。THE HELLO WORKSと同時に、スチャダラの歌詞を作るのはやっぱ無理なんですよ。事務所とレコード会社が変わって、制作環境的には本当にストレスなかった。作りやすくなったよね。2曲目の『Antenna of the Empire』だけはカッコ良くしました。そういうのは1曲でいいんですよ(笑)。トラックが大変だったのは『Station to Station feat. ロボ宙』かな。ロボ宙は、もう遺産ですよ。なんて言うんですかねぇ、本人はニの線っていうのが一番面白いんですよ。実際、ロボ宙は下ネタとかもないし、スマート。なのに……みたいな(笑)」(BOSE)
「ラップはできるんだけど、ステージから落ちる、みたいなね(笑)」(ANI)
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「『Hey! Hey! Alright』は歌が入るまでは、これでいいのか?って感じだったね。カエラちゃんの歌が入って、助かった!って(笑)。ブースで第一声を聴いた時の感動はもうないっすね」(SHINCO)
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「ANIの唯一続いてる趣味は、ラップと、写真くらいでしょ。あと、ゾンビ」(BOSE)
「うーん、3本柱だね」(ANI)
「『ヤングトラウマ〜ひろ子、ドカベン、バムバータ〜』では、スチャダラは何がどうなって今こうなっちゃってるのか?っていうのを、ずーっとしゃべっていて。小泉今日子さんとか宇多丸(RHYMESTER)とかに話を聞いたっていう。ぜひ読んでみてください!」(BOSE)
(3月25日/青山にて)
〈TOKYO FM 出版〉
〈リトルモア〉


